2024年7月19日。
北海道サーフトリップ三日目の朝が来た。
窓の外は、やけに静かだった。
風の気配も弱い。空は明るいのに、海だけが何かを隠しているように見えた。
この日は、ウネリが弱い予報だった。
それでも、ゼロだと決めつけるにはまだ早い。そう思って、僕は市街地から近い住吉漁港へ向かった。

結果はフラット。海は、正直だった。
予想していた展開ではあったが、やはり目の前で何も割れていない海を見ると、少しだけ肩が落ちる。
サーフトリップに出れば、波がない日なんていくらでもある。
むしろ、そのほうが普通なのかもしれない。
問題は、そういう日に何をするかだ。
不機嫌になるのか。
それとも、ちょっとしたトラブルも旅の一部として飲み込むのか。
海に裏切られたような顔をして一日を潰すこともできる。
けれど、いい旅になるかどうかは、たぶんそういう日に決まる。
波がない日の過ごし方に、その人の旅のスタイルが出る。
さて、どうしたものか。
答えは、もう出ていた。
市内のサーフポイントを、自分の目で見て回ろう。
旅に出る前、ネットの検索だけじゃなく、本や友人、知人から拾った情報を頭に入れてきた。
けれど、最後は現地で確かめるしかない。百聞は一見に如かず、とはよく言ったものだ。
もしかしたら、どこかにウネリを拾う場所があるかもしれない。
そんな淡い期待を、完全には捨てきれなかった。
市街地に近い場所から順番に回っていく。
アクセスルート、駐車スペースの位置、トイレやシャワーの有無、地形の雰囲気。
次に来たとき迷わないように、ひとつずつ頭に入れていく。波がない日でも、こういう時間は無駄じゃない。
地図の上にしかなかった場所が、自分の中で少しずつリアリティのある場所に変わっていく。
途中、セイコーマートの前にあるポイントも覗いてみた。
車をどこに止めればいいのか分からず、買い物ついでに店員さんに聞いてみる。
どうやらサーファーはあまり見かけないらしい。
でも、もしサーフィンしたかったら店の裏に止めていいから、気軽に声をかけてくれと言ってくれた。たったそれだけの言葉なのに、妙にうれしかった。
知らない土地では、こういう小さな親切がやけに深く沁みる。旅先で救われるのは、だいたいこういう何気ない一言だったりする。
時刻は午前11時前。
腹が減ってきた。
いったんポイントチェックを切り上げて、下調べしておいたラーメン屋へ向かう。
その途中で、ちょっとしたアクシデントがあった。警察に職務質問を受けたのだ。
県外ナンバーの車にサーフボードを積んで走っていれば、まあ目立つのだろう。こちらとしては善良な一般市民なので、喜んで協力したが。
旅先での職務質問。たったそれだけのハプニングでも、少し物語っぽくなる不思議な感覚を覚えた。
無事に解放されて、ようやく昼飯にありついた。
シンプルな函館塩ラーメン。具はチャーシューとメンマのみ。
余計なものを削ぎ落とした一杯だった。

こういうラーメンが、たまらなく美味い日がある。
海を見て、走って、少し肩を落として、また走ったあとに飲むスープは、味というより体の奥に落ちていく感じがする。派手さはない。でも、旅の途中の昼飯なんて、だいたいこれで十分だ。
食後は少し、市内を歩いた。
新撰組・土方歳三最期の地にも立ち寄ってみた。
名前は昔から知っていた。けれど、実際にその場所に立つと、学校で習った知識とはまた違った不思議な感覚が訪れる。
風が吹いていた。
空は曇っていて、観光地らしい華やかさはどこにもない。
ただ、この北の町の果てで、一人の男の時間が途切れたのだと思うと、妙に生々しかった。
歴史は教科書の中にあるんじゃなく、こうした何でもない場所に残っている。
午後から、また海沿いを走る。
函館東部の海をなぞるように、ポイントをひとつずつ見ていく。
けれど、こちらも波はなかった。
ただ、その代わりに、いい形のリーフを見つけた。
今日は眠ったままの海でも、条件が合えばきっと別の顔を見せるのだろう。そういう場所に出会うと、今すぐ乗れなくても嬉しい。また来る理由が、ひとつ増えるからだ。

そうこうしているうちに、日が傾いてきた。
空の色が変わるのは早い。波がない日ほど、一日はあっという間に終わる気がする。
夜は市街地のハンバーガーショップへ入った。
肉厚のパテ。香ばしいベーコン。溶けたチーズ。
身体が本能的に求める味、というのはこういう一皿を指すのかもしれない。
昼の塩ラーメンが静かな食事なら、こっちは完全に夜の勝利宣言みたいな一皿だ。今日という一日に、ようやく体温が追いついてきた気がした。
ラストはローカル銭湯へ。
いい湯だった。
旅先の風呂は、観光名所じゃなくてもいい。
むしろ、何でもない銭湯のほうが、その土地に潜り込めた感じがする。
潮風に一日晒された身体の垢を落として、湯に沈み、ようやく今日一日の輪郭が整っていく。
風呂上がりにおもむろにWindyを開く。
明日は予想通り、日本海側の波が上がりそうだった。
ならば、もう迷う理由はない。
朝イチを狙うため、今夜のうちに現地へ入ってしまおう。
函館から一時間ほど車を走らせて、日本海側の江差町へ向かう。
街の灯りが次第に遠のき、道路の両側が暗闇に飲まれていく。
旅の夜道には、いつも少しだけ映画みたいな時間がある。昼間の現実が後ろに遠ざかって、まだ見ぬ明日だけがフロントガラスの向こうに浮かんでいる。
江差に着いたとき、海はもう見えなかった。
それでも、闇の中に立って耳を澄ますと、ウネリが入っていることだけは、ハッキリ分かった。
昼間の函館では見つからなかったものが、ここにはある。そう思うだけで、胸が少し熱くなる。
波がない朝から始まった一日だった。
けれど、だからこそ辿り着けた夜だったのかもしれない。
乗れなかった海も、走った道も、声をかけてくれた店員も、塩ラーメンも、土方歳三も、夜のバーガーも、銭湯の湯気も、全部が次の波へつながっていた。
サーフトリップは、海に入っている時間だけではできていない。
明日の朝、ようやく日本海が応えてくれるかもしれない。
そんな出逢いの予感を胸に、僕は静かに眠りに落ちた。
To be continued.
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