2024年7月20日。朝5時。まだ眠気の残る身体を起こして、僕は江差の野営地を出た。
空は薄い灰色だった。
まどろみの中、抱いていた期待は、そのまま海のほうへ続いていた。
今日もまた、日本海沿いを北へ走る。途中で波があれば止まり、サーファーがいれば海を覗く。そういう一日だ。予定なんて、あってないようなものだった。
一人旅の朝は軽い。
荷物は最小限でいいし、行き先もざっくりしている。そのかわり、海の匂いと空の色と、風向きだけは見落とせない。そういう感覚だけが、少しずつ研ぎ澄まされていく。
走り出してすぐ、いきなり出鼻をくじかれた。
落石のため通行止め。国道229号はあっさり僕を通してはくれなかった。

仕方なく、内陸へ回る。
地方の道路は、ただそこにあるわけじゃない。維持すること自体が、きっと静かな重労働なのだろう。旅をしていると、こういう当たり前のことに不意に気づかされる。
迂回して、また海へ戻る。
二時間ほど走って、とある海水浴場をチェックした。ウネリは小さい。サーファーもいない。悪くはないが、まだ何かが足りなかった。
なんとなく双眼鏡を覗いた。
右奥の漁港のほうに、小さな黒い点が動いている。よく見ると、それはサーファーだった。
そうなるともう駄目だ。
身体が先に動く。車に乗り込み、急いでポイントへ向かった。
そこは小さな河口と漁港が並ぶ、いかにも北のローカルポイントという顔をした場所だった。
駐車場には札幌から来たというサーファーがいて、感じよく波のことを教えてくれた。
ボトムはリーフ。インサイドまで乗りすぎるとフィンを傷つけやすいこと。沖へ出るなら河口正面が楽なこと。短いやり取りだったけれど、こういう一言は、トリップ中の人間にはやけにありがたい。
サーフポイントの第一印象は、その土地で最初に出会ったサーファーで決まることがある。少なくとも僕は、そう思っている。


入水前に、いつものように海水温を測る。
22.6℃。この数字なら長袖タッパーにトランクスでいける。急いで着替え、河口正面からゲッティングアウトした。
波はコシからハラ。形のいいレギュラーが、静かに、綺麗に割れていた。変に主張しないのに、ちゃんと走れる波だった。
土曜日なのに、海には僕を含めて四人しかいない。
千葉や湘南なら、同じコンディションでこの何倍ものサーファーが押し寄せる。
けれどここでは、波が余っていた。北海道の大きさは、地図で見るより、海に入ったときのほうがよく分かる。
二時間ほど波に乗った。
十分だった。まだ乗れそうだったけれど、腹が減ってきた。時刻は10時を少し回ったところ。海から上がる理由としては、それで充分だった。
着替えを済ませて、また国道を北へ行く。
この先には、事前に目星をつけていた店がある。
一時間ほど走って辿り着いた店先には、生簀が並んでいた。ウニ、ホタテ、牡蠣。どれも北海道の海そのものみたいな顔をしている。好きなものを選んで焼くこともできるらしいが、この日の僕は海鮮丼にした。追加で牡蠣とホタテをオーダーした。

海老、いくら、つぶ貝、ヒラメ、タコ、ブリ、ホタテ。
北の海で獲れたものが、丼の上で無造作に光っていた。
こういう時、人は案外、立派な感想なんて持たない。
ただ、ああ、来てよかったな、と思うだけで十分だった。
食後、また日本海沿いを北へ向かう。
途中で江ノ島という名前のビーチに出た。湘南の江ノ島とはずいぶん違う。こちらの江ノ島は、もっと静かで、もっと広く、観光地の匂いがまるでしなかった。
波はなかった。
それでも、抜けるような青空と木々の緑のコントラストが鮮やかで、しばらくその場を離れたくなかった。
波があるかどうかとは別の次元で、景色に足を止められることがある。そういう場所を旅先で見つけると、得をした気分になる。
少し休みたくなって、セイコーマートでコーヒーを買った。
ついでに店員のおばちゃんに、この近くでサーファーを見たことはないかと聞いてみる。すると、この先のトンネル手前で見かけたことがあるという。
ネットには出てこない場所だった。
でも、こういう情報のほうが、案外信用できたりする。
教えられた場所へ行ってみた。
たしかにサーフポイントらしい地形はあった。ボトムはリーフ。ウネリさえしっかり入れば、たぶん面白い波になる。
ただ、インサイドには岩が点在している。こういう場所は、見つけたその日に入るより、次の機会のために覚えておくほうがいい。
またひとつ、再訪したい場所が増えた。
旅は、行った場所の数じゃなく、戻りたい場所の数で深くなっていくのかもしれない。
空が茜色に染まりはじめた頃、さらに別のリバーマウスのポイントへ辿り着いた。
ここは、ある有名人がかつてサーフィンしたことがある場所らしい。

この日はサーフィンできる波はなかった。
けれど、小さなブレイクの形を見れば分かる。大きなうねりが入ったとき、この場所はきっといい顔をする。そういう、『まだ見ぬ波の気配』だけを持ち帰る日もある。
日が傾いたあと、最後に向かったのは日本海を一望できる露天風呂だった。
空と海と夕陽しかない。余計なものがほとんど視界に入らない。
太陽は、沈むというより燃え尽きていくみたいだった。イエモン(※1)の『太陽が燃えている』が脳内で再生される。
水平線に光の帯を引きながら、ゆっくり海へ落ちていく。その景色を湯船から眺めていると、一日分の疲れが身体の底から静かにほどけていった。
こういう時間のために旅をしているのかもしれない。
そう思った。大げさじゃなく、心の底から、幸せだった。
風呂上がりにどこかで一杯やりたかったが、北海道の田舎の夜は早い。
店はもう閉まりはじめている。結局、セイコーマートで酒とつまみを買い込み、近くの道の駅で一人で乾杯した。
それで十分だった。
海があって、風呂があって、コンビニの灯りがあって、明日へ続く道がある。旅先の夜に必要なものは、案外それくらいでいい。
今夜はここで眠る。
明日の波は、明日の朝の海が決める。
けれど、日本海を北へ走ったこの一日は、もうそれだけで、ちゃんと旅になっていた。
次は、さらに北へ。
この道の先に、まだ見ぬ波が残っている気がしていた。
To be continued.
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